資料室へ向かう廊下で偶然ナカテガワと会った
夢子は、彼から突飛な質問を受けた。
「
夢野さんは、裏切らない男性がお好きですか?」
文字通りばったりと会っただけで、ふたりだけに分かるようないつの日かの会話を引っ張り出してきたのでもない。彼女には何の心当たりも無かった。
「何ですか、突然」
「いや、今日の事件で少し考えることがありましてね……」
そう言って、ナカテガワは日の暮れかかった窓の外を眺める。長年捜査官として働いてきた彼が事件に感化されて何か悩む素振りを見せるのは珍しいことで、
夢子は叩くつもりでいた軽口を引っ込めた。
「……まあ、裏切られるのは嫌ですよ。仕事だとなおさら」
代わりに、以前の彼の行動に対して釘を刺すような視線を送ってみたが、窓の外を見ている彼が気付くはずもない。しばらくしてからやっと彼女の顔を見て、相変わらずのポーカーフェイスで「そうですよね」とだけ言った。
深刻な事柄なのかと思って親身になって答えたのに実はナカテガワは冗談のつもりだった、ということは今までに多々あった。その度に無駄な心配をしてきた
夢子は、自分から訊いてきたくせにまるで他人事のような彼の態度を見て、また“ハメられたのか”と思う。……が、ナカテガワは言葉を続けた。
「やはり女性にとって、感情も無く裏切らない……ずっと側に置いておける男性が理想的なのでしょうか」
あまりにも真剣な顔をして
らしくない言葉を言うので、
夢子は却って何かしらのドッキリでも仕掛けられているのかと疑いたくなった。
「それ、本気で言ってます……?」
「ええ」
驚き気味に彼の顔を凝視してはみるが、冗談は微塵も匂わなかった。どうしようかと悩んだ
夢子だったが、観念して答えることにした。
「……私は、そんな男の人は嫌ですよ。相手にはちゃんと応えてほしいですから」
それは、恋愛的(だと思われる)話題を持ち出してきたナカテガワに対する期待と、少し彼を焦らしたいという欲に挟まれた結果出た言葉だった。もしも他人との恋愛相談をされているなら真面目に答えたのが馬鹿みたいに思えるし、万が一自分を探るための言葉だったとしたらちゃんと向き合わなければならない。我ながら上手い回答を思いついたものだと
夢子は心の中で自画自賛したが、「それでは私は、
夢野さんにとって理想的ではない、と」などと言われてしまっては、全てがどうでもよくなってしまう。
……
夢子は、再びナカテガワの顔を凝視してしまった。
本当に、目の前の人物はあのナカテガワモリチカなのだろうか。何なら、「どこかの誰かさんは感情も無くて、その上裏切りそうですけどね」と付け加えて、もっとお気楽な雰囲気に変えようかと考えていたところだったのに。
何かに悩むナカテガワの顔は珍しいもので、実のところ、
夢子はその表情が好きだった。だが、彼女のためにそんな顔をしているとしたら?――恥ずかしさを誤魔化しながら向き合うつもりでいたのに、直球勝負をかけられては “避ける”という選択肢は途端に消え去ってしまう。
「そ、そりゃあ、今まで言ったことに照らし合わせたらそうですけど……でも、理想的とかそういうのは関係ないんですよ。相手のことを好きって思ったら、そういうのって、ぜーんぶ御託になっちゃいますから」
目の前の人物への好意がすっかり明け透けになってしまっている言葉。あくまでオブラートに包んだつもりで自覚の無い
夢子は、“なぜか彼が一方的に無言で見つめてくる”と困惑していた。
「それより、ほら、ナカテガワさんの方こそどうなんですか。理想とかないんですか」
「そうですね……」
しばらく悩んだ素振りを見せた後、「私の感情を読み取ってくれる方が理想的ですね」と答えた。
「そのポーカーフェイスを?」
「ええ。……
夢野さんはわかりますよね」
そう尋ねるナカテガワは、微かに微笑んでいた。どちらかと言えば……いたずらな雰囲気を纏って。その意味するところに気付いた
夢子は、自信満々に答える。
「もちろんですよ。今は、私をからかって愉快だ、ってところでしょう?」
ご名答です――彼が満足げに言うのが嬉しいような、悔しいような……彼女は唇をとがらせた。
「それじゃあ、私はナカテガワさんの理想的な人ってことですか」
「それも読み取ってください」
「ずるいですよ、私は超能力者じゃないんですよ!」
ナカテガワは焦る
夢子の様子を見ながら笑う。またいいようにからかわれただけのようで、感情を読み取れるだなんて言わなければ良かったと彼女は一瞬後悔した。
だが、目の前の彼を見れば思う。愛しい彼がいつも通りに戻って笑顔を見せてくれるなら、嵌められるのも悪くはないのかもしれない、と。
「お互い、理想の相手だってことですね」
途端に目を丸くするナカテガワに微笑みを残し、
夢子は仕事の続きへと戻った。
END