クラブ<ロニー・ロケッツ>から出てきた人物を見た私は、どうも見たことのある姿にもやもやとして、それから顔が見えるとピンときた――確か、最近凶犯課に加わったという期待のルーキーだったはずだ。「変わり者ばかりだ」なんて陰で言われている凶犯課に仲間入りした人物は、今度はどんな変わり者なのか……ほんのり気になっていた私は、いつの日か用事ついでにちらりと彼の姿を見ていた。
しかし、彼がクラブに用事があったというのはどういった理由からなのか分からなかった。手にはフライヤーまで握っているのを見れば、仕事終わりに遊んだのかと思いもする。が、楽しげではない表情と、クラブのドレスコードに引っ掛かりそうな黒ずくめの服装を見れば、そうではないようにも思える。
今は午前3時……の少し前。はっちゃけるにもってこいの金曜でもないし、もしかしたら、聞き込み調査でもしているのかもしれない。遅い時間に一人でご苦労、なんて思いつつ、私は彼に話しかけようと近づいていった。
いくら警察だからとはいっても、こういった深夜の怪しい場所を女一人で歩くというのはいつまでたっても慣れない。私も別の調査で徹夜案件だったので、同じような仕事を抱えている(ように見える)彼を見つけてどこかホッとしていた。そして、話し相手が欲しかったし、彼について興味もあった。
24署方面へと向かっていると思しき彼の足を、声を掛けて止める。初めは不審がっている彼ではあったけれど、警察手帳を見せれば納得してくれ、ついでに「凶犯課にはナカテガワって人がいるでしょう」と言えば、大丈夫だと判断してくれたようだった。
不愛想ながらも友好的な雰囲気を作ってくれた彼の顔は若かったけれども、あどけなさというものは不思議なほどに一切感じられなかったのが印象的だった。
クラブに用事があったの?
何を調査していたの?
凶犯課はどう?
そして、世間話もほどほどに……
彼の名前が“アキラ”であることを教えてもらい(名字じゃなくて名前の方を教えてくれるなんて、案外彼はフレンドリーなんだろうか?)、一通り表面的な話を終えると、話題は振出しに戻る。凶犯課に入ってそうそう徹夜仕事を任されるなんて大変だね、と改めて労いの言葉をかけ、凶犯課も忙しいのかと苦労を想像していると、彼はそうでもないといった旨のことを口にした――人手が足りないからペーペーの彼が駆り出されているのではなく、仕事を選り好みする凶犯課の人々から押しつけられる形で調査を任されている。つまり、面倒な上司のおかげで、彼は多大な苦労をひとりで背負い込むことになっているのだ。
このことを知って、私は凶犯課の人に一言文句を言いたくなった。
言ってみれば、彼は表情も暗いし、口数も少ない。徹夜で仕事、苦労している、という点を勝手に自分との共通点だと思い込んで呑気に話しかけた自分が信じられないと感じる程度には、彼は話しかけにくい雰囲気をまとっている。
だけれども、そんな特徴がかえって構いたくさせるのも事実だった。署内にウヨウヨとしているインテリとは違って、頭脳派、よりは肉体派のように見える彼は、なんとなく魅力的に思える……というのも、私もどちらかと言えば叩き上げの部類に入る人間だからだ。だからこそ、彼が以前は公安傘下の特殊部隊<リパブリック>に所属していたことを教えてもらうと、尚更彼に構いたくなった。
まだ、彼から苦労話も何も聞いていないけれど、もし相談されれば親身になって答えてあげるつもりだ。年も若そうだし、よりによって凶犯課だなんて、彼は苦労の星の元に生まれたようだ……なんて、深夜のテンションで考えたことをそのまま口に出すはずもなく、私は車を停めていたモータープールの方へと彼と共に向かった。
***
アキラくんが凶犯課の扉を開ければ、そこにはナカテガワさんがいた。ひとり、デスクで仕事をしていた彼は、アキラくんの姿を視界に入れると驚いた表情を見せた。
「おや、アキラくん。遅くまで頑張りますね」
どことなく他人行儀な物言いに、まるで自分事のようにムッときた私は、大柄なアキラくんの後ろからヌッと姿を現す。すると、ナカテガワさんは「どうして
夢野さんも」とさらに目を丸くさせた。
「アキラくんばかり働かせているそうですね、凶犯課は」
寝不足でクマがひどいであろう顔で睨みを効かせ、ナカテガワさんに物申す。対して彼は、私の言葉の意味が分からないのか疑問を顔に浮かべていたが、ほどなくして「忘れてた」と声を漏らした。
「忘れてたぁ? 言い訳になってませんよ、それ」
黙って立ったままのアキラくんを尻目に、私はナカテガワさんに更にたたみかける。
「凶犯課は、自分の好き嫌いで人に仕事をなすりつけるんですか」
「生憎、みなさんの都合が合わなかっただけですよ」
「ナカテガワさんも?」
「ええ、このとおり」
彼の目の前にあるパソコンを手のひらで示して、忙しいのだということを見せびらかした。どのみちこんな時間までここに残っていることは確かなのだから、忙しいことには変わりないのだろう。
徹夜で頭が回らなければ、日をまたいでパソコンと向き合っているナカテガワさんに詰め寄るのも忍びない。私の戦意は急速にそがれてしまい、軽い苛立ちの行き場を失ってしまった。
そんなこんなで目的を見失っていると、ナカテガワさんは「お、もらってきましたね」と言った。見れば、彼の視線はアキラくんが手にしていたフライヤーへと向かっており、それを当然のように受け取った。
私も横から覗き見てみる――デザインはデジタルを使った最新のものではあったけれど、私の趣味には合わない。私なら、こんなビラのために徹夜させられるなんて御免だ……改めて、アキラくんの苦労を労いたくなった。
私にはただの紙切れにしか見えないけれど、ナカテガワさんからすれば膨大な情報が乗っている重要な文書に見えるのだろう。そして、このフライヤーに書かれている英数字の羅列を読み解くことができるのだろう。フライヤーとパソコンのディスプレイを交互に見つつ、彼はカタカタと文字を打ち込んでいった。
“フリーウェイ”だの“ファイヤーウォール”だの……ここは日本だぞ、と言いたくなるほどに意味の分からない言葉を口にしつつ、ナカテガワさんは慣れた様子でキーボードを押していく。どんどんと増える文字列に、どんどんと変わっていく画面。パソコンやネットに疎い私でも、何となく、核心に近づいていっている感じがしていた。
パソコンを器用に扱い、ネットを自由に利用することができる点は、素直に尊敬する。これからはネットの時代だ、なんて言葉を聞くことだって最近増えたし、どんどんと変わっていく時世のことだ。流行やハイテクには流されるようにして慣れていった方がいい。たまに厄介に思うナカテガワさんではあるけれども、仕事はできるのだから、ただのインテリ組などと一括りにしてしまうわけにはいかないのだ。
そうこうしていると新しいサイト(これまた私の感覚的には微妙なサイト)に辿り着き、彼の技術と知識に感心していると、抜け目の無い彼が本領を発揮してしまった。
カーソルを動かし、サイトのとあるリンクの部分をクリックすると……なんということか、彼はアドレスを入力してしまったのだ。「あっ!」なんて言っても、時すでに遅し。ナカテガワさんは既に送信してしまったらしく、変化した画面を満足げな顔で見ている。
「ナカテガワさん、いいんですか。アドレスを教えてしまって」
ネットは便利な分、個人情報の扱いには気を付けた方がいいというのはさすがの私でも知っているし、ネットに詳しい彼ならなおのことご存知だろう。それなのに、そう簡単に入力してしまうなんて……不安な私は、彼の思惑を教えて欲しいと懇願する目付きで彼を見た。
しかし、ナカテガワさんは、私の顔を無言で見た後、アキラくんの顔を見て「頑張ってください」と他人事のように微笑む。
もしかして、もしかして……アキラくんを生け贄にした !?
「ダメじゃないですか! どうして入れちゃったんですか!」
胸倉を掴まん勢いで彼に詰めても、彼は微塵も気にしていない。というより、私の言葉は耳に入っていないようだった。
「ほら、アキラくんは早く帰った方がいい。何が起きるかわかりませんから」
問題を引き起こしたのは自分なのに、他人事な言葉と声音。これだから、インテリ組は……と、盛大にため息をつきたくなった。白々しい態度は、残念ながら、私の疑惑が正しいことを示している。
叩き上げのアキラくんからすれば、実戦経験はあったとしても、こんな風な特殊な情報戦はしたことがないだろう。凶犯課に配属されてまだまだ日の浅い彼が、マニュアルで望ましいとされるような張り込みや調査、身分の隠し方などを知るはずもない。今日のクラブでの聞き込み調査だって、ろくな指導を与えられていなかったことだろう。
「危ないし、私もついていきます」
課は違うけれども、助けてあげたいと思う気持ちに違いはない。一応、私の方が先輩ではあるのだし、それなりに経験も知識もある。何らかの形で、彼の力になることができるだろう。幸い、徹夜明けの日は午後からの出勤にしているので、そこそこ自由に使える時間はある。けれども、ナカテガワさんは、無情にも私の提案を「いや」と遮った。
「あなたがついていく方が危ない。それに、彼は元は公安の特殊部隊にいたんですよ。かえってひとりの方が動きやすいでしょう」
そう言われてしまえば、私はアキラくんについていく理由が無くなる。足手まといになってしまうぐらいならばついていかない方が賢明だろうし、そもそも、彼も私のことを厄介に思っているかもしれない。
「大丈夫?」と一応アキラくんに訊けば、頷きで肯定を示してくれた。ここは、彼の実力を信頼しているということで、ナカテガワさんの言う通り、アキラくんには1人で頑張ってもらうことにした。
苦情を入れてしまえば、もう凶犯課には用はない。夜通し仕事に精を出したのだから、ベッドで横にならせてほしい。寝ることだけを頭に詰め込んでアキラくんと一緒に出て行こうとすれば、ナカテガワさんに止められた。
「
夢野さんは、まだそこにいてください」
何か確認することがあっただろうかと思い、「はあ」と面倒くささを滲ませた返事をする。彼の残業の道連れにされないか少々心配ではあるけれど、アキラくんには「気をつけて」とできる限り微笑んで送り出した。
彼が小さく頭を下げたのを見て無事を祈りつつ、私は再びナカテガワさんと向き合う。
「……それで、私には何の用ですか」
「モリチカ」
「は?」
突然自分の名前を口にするナカテガワさん。彼の意図が全くつかめず、私は困惑した。しかし、彼は表情を崩すことなく言葉を続ける。
「Repeat after me “モリチカ”」
「……意味がわかりませんけど」
「私も意味がわかりません」
「……はあ?」
思わず声が出てしまう。一方、ナカテガワさんは、問い詰める私の視線をかわすように再びパソコンの画面へと目を向けて、考え事をするように顎をさすった。
「……彼とは親しいんですか?」
「親しいも何も、さっきクラブで会ったんですよ。凶犯課の皆さんに、こき使われているところで」
しれっと嫌味攻撃をしてはみたものの、いまいち効いていないらしい。凶犯課に響くタイピング音のリズムが乱れることはない。
「アキラくん、ねえ……」
聞こえるか聞こえないかというほどの小さな呟きが、確かに彼の口からこぼれた。
それを聞いた私は、一生懸命頭を働かせて――ということをしなくても、なぜか、パッとひらめいてしまった。彼がどんなことを思っているのか。そして、どんな言葉を待っているのか。
私は、全てお見通しだと言わんばかりに、言い聞かせるように堂々と話した。
「彼が下の名前しか教えてくれなかったんです。だから、“アキラくん”って呼んでるんですよ」
「何ですか、突然」
……そうきたか。しらばっくれるのは彼の常套手段でもあるので、どうすべきかは私には分かっている。
「突然も何も、顔に書いてありましたけど? 『どうして彼だけ名前で呼ぶんだ』って」
それから訪れるしばらくの沈黙。それは、私の推理が正しかったことを物語っていた。……本当、わかりやすい人。
素直になればいいのに、と思いつつ、思わぬ状況に顔がにやけそうになる。凶犯課の労働状況については異議を唱えたいところではあるけれど、アキラくんとの出会いが、こんな状況をもたらしてくれたのだ。そう考えると、徹夜仕事も受け持つもんだな、と一瞬思ってしまう。ほんの一瞬だけ。
ナカテガワさんがパソコンと向き合う様子を立ったまま見ているのは、歩き回ってすでにパンパンの足には酷なので、近くのデスクから椅子を引っ張ってきて彼の隣に腰を下ろす。
彼の横顔を見て、ふと、徹夜している人の顔には見えないなと思う。大抵は、“疲れ”を体現するクマが現れ、表情全体がどんよりとした感じになるか、かえってアドレナリンがあふれ出てギラギラとした表情をしている。それなのに、隣の彼は、いつも通り。朝10時くらいの顔つきをしている。……そういうところが、彼のキャリアたらしめる所以なんだろうとひっそりと思った。
思えば、私がアキラくんについていくことを止めたのも、もしかしたら私を心配してのことだったのかもしれない。こんなことは絶対にナカテガワさんには訊けないので、私の心の中だけの自惚れにしておこう。
呼び止めたくせに、私の相手をする気配も無ければ、だからといって帰れと言う気配も無い。無言の圧力というか、とりあえず隣にいろと言われているようで私はこの場から離れられずにいる。とはいっても、私はそれが妙に嬉しくて、無言で分かり合える関係みたいで、ひとり、期待を募らせてしまう。
私だって、そうやすやすと彼の隣から離れたくはない。こんなに近くにいるのに、彼がカッチリしたスーツを着こなしている間は、パソコンと向き合っている間は、私は指一本も触れられない――そんなつれないところがとても意地悪で、とても大好きなのだ。どうしてか元気をくれる彼の横顔が、愛しいのだ。
カタカタとキーボードを打っていたナカテガワさんは、ふと思い出したように声を出した。
「それで……呼ぶ気になりました?」
私は、いたずらに口角をあげる。
「いいえ、全然」
「あら」
仕方がない……今日も、彼の残業に付き合ってあげることとしよう。
END