はっきりとした言葉を返さない、寝ぼけ気味の弟の姿を見て、
夢子は腕を組んだままため息をついた。
「で、どういうのがいいの?」
「……わからん」
「わからん、って……じゃあ、洋風と和風だったら?」
夢子からの呆れ交りの痛い視線に耐えかねて、流川は顔を反らすようにして視線を上へと移動させる。そのまましばらく考えれば、彼の頭の中では一つの答えが出た。
「……和風」
「和風ね。じゃあ、さっそく駅前のデパートに行くよ」
既に準備万端の
夢子は、寝起きそのままの弟に「早く準備しなよ」と急かすように声を掛けた。
流川が朝から詰問を受ける羽目になったのは、自業自得でもあった――
今朝、突如、「部活の監督をしている先生に話をしに行く」と親に言い出した流川。当日の朝になってから「弁当がいる」と言い出す子どもと何ら変わりないではないか……というのはさておき、何も手土産を持って行かないというのはよろしくないだろう。しかし、彼が人のことを考えて手土産を選ぶことができるかどうか疑わしい……
と、そこであてがわれたのが、彼の姉である
夢子だった。丁度帰省していた彼女は忙しい両親に代わって、ぼーっとしている弟と買い物に出かけることを頼まれたのだった。
もともと出掛けるつもりだった
夢子は、その準備万端さと、“ついでに”という便利の良い言葉から、弟のお守を押しつけられてしまった。小さな子どもならまだしも、いくら弟とはいえども高校生。決して手のかかるような弟ではなかったが、何分口数の少ない弟では、コミュニケーションを取ることに苦労するのだ。
日常の何気ない話をする分には大して問題はないが、何か彼から引き出さなければならないとなると、途端に苦労が増す。言葉が足りないことに加え、基本的に他人に興味のない流川は、
夢子がわざわざ質問しなければ重要なことも伝えることはなかった。
流川が生まれてからずっと彼の姉をしてきた
夢子ではあったが、未だに弟のことがよく分からないでいた。バスケットをしている時は、家族のひいき目で見てもピカイチなのだが、日常生活だとどうも冴えない感じになってしまう。
これから先、一体どうやって生きていくつもりなのだろうかと、時折
夢子は弟のことを不安に思うのだった。
***
なんとか買い物を済ませると、近くの駅まで歩いて向かう。
無言で並んで歩く弟を見上げ、その上の方にある顔をちらりと見る――成長期を迎えたある日から突然大きくなったのだが、しばらく会わない間にまた一段と大きくなった気がした。まるで自分が小さくなった錯覚できるほどで、幼い頃は当然ながら自分の方が大きかったことを思い出した。
一方、図体は確実に大きくなっているが、中身は小さい頃とあまり変わっていないとも思う。親に反抗している様子もなければ、姉と出掛けることに対して嫌がる素振りも見せなかった。そんな流川は、体は大きくとも、
夢子にとってはかわいい弟のままだった。
姉弟同士で干渉し合うことはあまりなかったが、別に互いを嫌っているわけでもない。なんだかんだそれなりに良い関係であることを考えると、
夢子は微笑みたくなった。その様子に気付いた流川は「何」と短い言葉で訊いたが、
夢子は「ううん」と誤魔化した。
しばらく歩いていると、「キツネ野郎!」という勢いのよい声が聞こえる。“キツネ”という言葉の意味は
夢子にはよく分からなかったが、目の前に突然現れた赤坊主頭の男――桜木花道は、彼女の隣にいる弟に用事があるようだった。
「何? お友達?」
夢子が弟にそう訊けば、花道はお構いなしに「てめーは呑気にデートかあっ!」と噛みつく。
「晴子さんに言ってやろ!」
「……どあほう。俺の姉貴だ」
「むっ! 言われてみれば、確かに似てるような……」
花道は、流川と
夢子の顔を交互に見て、それから彼女の顔をまじまじと見ると、力の抜けたような笑顔を見せて手を差し出した。
「桜木花道と言います! 以後お見知りおきを!」
騒がしいけれど、なんだか悪い人間ではなさそうだと思った
夢子は、その手を差し出して握手をしようとした。
しかし、その寸でのところで流川がその手を止める。どうしたのかと見上げようとすれば、
夢子の顔を一瞥して、それから自分の後ろの方に押しやった。
花道と向き合うと、一言。
「……あんたと二度と会うことはねぇ」
ばっさりと斬ってしまった流川は、
夢子に「いこーぜ」とだけ声を掛け、駅の方に向かうことを促した。
「逃げる気か! ヒキョー者!」
花道は流川に対してそう声を荒げたが、流川は微塵も気にしていないようで、ついには歩き出してしまう。その様子を見ていた
夢子は、花道に軽くお辞儀をしてから弟の背中についていった。
しばらく無言で歩いていた2人だったが、気になっていた
夢子が先に口を開いた。
「楓の友達、結構明るいのね」
「……友達なんかじゃねぇ」
弟の友人を褒めたつもりだったのだが、当の本人は少し機嫌を悪くしているようだった。あまり仲は良くないのだろうか。
「でも、案外いい人そうじゃん」
夢子としては、思ったことを言ったまでだったが、弟の眉がこれまた不機嫌そうにピクリとしたので、「ま、楓と合うのかは知らないけど」と慌てて付け足しておいた。
そうこうしていると、駅が見えてくる。子どもが学校に行く前の親のように、手土産を弟が持っていることを確認すると、
夢子は流川の顔を見た。
「それじゃあ、気を付けてね」
流川はこくりと頷くだけして、駅の改札を通っていく。
周りの人と比べれば大きいけれども、姉である自分からすれば少し頼りないような背中を見送って、今日、買い物をしている間にも大きくなったんじゃないか……などと思った
夢子だった。
END