「タオル、落としましたよ」
ロッカールームに戻ろうとしていたところで、仙道は声を掛けられた。
「すみませ――」
そう言いながら振り返れば。
……目の前には、自分が落としてしまったタオルを手にした女子学生がいた。が、そんな分かりきったことはひとまず置いておいて、仙道は思わず息をのんだ。
振り向いてからの時間はわずか1秒のことだったが、彼の体感としてはかなりの時間が経ったように思えた。それでも焦ることがなければ内心を表情に出しもしない仙道は、いつも通りの落ち着いた態度で自然と口を開く。
「応援すか?」
「……え?」
脈絡もなく、突然話しかけられた女子学生――
夢野夢子は、困惑した顔のまま仙道の顔を見つめた。まるで面識があるかのような会話の始まりを不気味に思いながらも、
夢子は「そうですけど……」と一応返しておいた。
一方、仙道は、目の前の彼女の表情にも気も留めず、何か些細な事柄でもいいからと必死になって情報を集めようとしていた。タオルを落としてしまったこと、そして彼女がタオルを差し出していることは、もはや意識の外だ。
夢子が着ている制服――赤いリボンがついていて、ブレザーになっている制服は見たことがあった。
仙道はあまり自分の身のまわりのこと以外の細かなことを覚えているような人間ではなかったが、つい最近、その制服は見たような気がしていた。確か……
「赤頭の……桜木……」
不確かな記憶を頼りに、途切れ途切れに言葉を紡ぐ仙道。怪訝な顔をして彼を見ていた
夢子だったが、彼の言葉には心当たりがあった。
「……もしかして、桜木くんのことですか?」
「そう、桜木
くん」
夢子につられたまま、桜木の名前を口にする。「確か、湘北っすよね?」
「はあ、まあ……」
どんどんと話を進めていく仙道に、
夢子は用心するような視線しか送ることができなかった。
目の前の男は、かなり背が高く、見上げるようにしなければ目を合わせることができないのだが、確かに顔はかっこよかった。今こうやって話し掛けてくる感じや、微笑んだ感じ、少し掴みどころのないところなども鑑みると、“モテる”という確信を持つことができた。
そんな男が自分に話しかけているのだから、ナンパか何かかもしれない――もしそうならば、試合を控えているというのにまったく呑気だ――と、
夢子は警戒していた(実際には、仙道が
夢子に一目惚れしたが故の行動なのだが)。
そんなこんなで、
夢子まで、自分の手に今、仙道の――初対面のくせに馴れ馴れしい男の――タオルが握られているのだということを忘れそうになっていた。気まずい無言をつくらない、と躍起になっているかのように「次の試合だろ?」とこれまたフレンドリーに訊いてくる仙道に、
夢子は「そうです」と業務的な返事をするだけ。
クラスメイトである晴子に誘われて試合を見に来た
夢子が今回観戦するのは、偶然にも今、彼女の目の前にいる仙道彰が属する陵南高校と湘北高校の試合だった。あまりバスケットに詳しくない
夢子は、さすがに対戦校の選手にまで目をつけているということはなく、目の前の男が神奈川で一目置かれるバスケットプレイヤーだということももちろん知らなかった。
仙道は、俄然困惑した様子の
夢子を見据えると、少し真面目な顔をして口を開いた。
「湘北もいいけどさ、俺のことも応援してくんねーかな」
その言葉を聞いて、
夢子は「え?」と思わず声が漏れてしまった。
しかし、仙道は「はは、やっぱり無理か」と冗談を言う時のように笑いながら頭をかいた。
「タオル、ありがとな」
やっと
夢子の手からタオルを取ると、
夢子が言葉の真意を問いただそうとする前に去って行った。
最後に笑顔を向けてくれたのは親切な雰囲気がしていて良かったのだが、正直、
夢子は仙道に振り回されるだけ振り回されて、不思議な時間を過ごしただけのように感じていた。
***
観覧席に戻ると、待っていた晴子にさきほどの出来事を話した。
「――背も高かったし、ジャージ着てたから、多分選手だとは思うけど……」
「それなら、きっとこの大会の出場選手よ」
説明する際に、
夢子があまりにも“変な人”を連呼したので、晴子は少し自信なさげに「変な人ってことは無いと思うけど……」と付け加えた。
「極めつけに、突然桜木君のことを訊いてきたかと思えば、『湘北もいいけど、俺のことも応援してくれ』って――」
「えっ! それって……桜木君もついに有名になったってこと !? 」
目を見開くと、晴子は嬉しそうにした。違う部分に反応されたことは
夢子にとって予想外だったが、あの、荒くれもので有名だった桜木花道が、あんなに大きなバスケット選手からも一目置かれるようになっているというなら……確かに驚くべきものだ。
彼をバスケ部にスカウトしたのは晴子なのだということを彼女直々に聞いている
夢子は、「晴子さまさまだね」としたり顔で言った。
「そーよう! 私の目には間違いはなかったんだわ」
目をキラキラとさせる晴子を横目に見て、
夢子は「晴子ちゃんが応援すればなおさらね」と呟いた。晴子が「ん? 何か言った?」ときょとんとした顔で見てきたので、
夢子は「何も」と茶化したい気持ちを抑えて微笑んだ。
「……あ! 出てきたわ!」
晴子の声につられて見てみれば、コートには既に両チームの選手が入場している。アップを始めたのか、それぞれがボールを手にしてシュートを決めたり、ドリブルでハンドリングを確かめたりと、ボールの音とバッシュの音が一斉に体育館内に響き始めた。
今日の湘北高校の対戦相手は、陵南高校。この試合で、ついに、インターハイに出場できる高校が決まる。
湘北も陵南も、既に出場を決めた海南附属に負けているため後がない。この試合で勝った方が、インターハイにも出場することができる……両者とも、この試合にかける熱意は相当なものだった。
その緊張感は観客席にも伝わっており、友人の応援という名目で気軽にやって来た
夢子も感覚が研ぎ澄まされるような思いでいた。少し名前と顔を覚えてきた湘北の様子を見た後、対戦相手の陵南高校を見る。
そういえば、さっき話しかけてきた選手のユニフォームは確かこんな感じだった気がする……そう思った
夢子は、晴子に教えたいと思い、あの時の選手を探そうとした。
すると――特徴的な、ツンツン頭。ひときわ目立っている選手を見つけて、
夢子は「あ!」と思った。
決して、声を出したわけではない。彼女の心の中で大きく響いた驚きだったはずなのだが、ツンツン頭の選手――仙道がふと観客席を振り返って見た時、
夢子は、目と目が合ったような気がした。
仙道も、ふと観客席に目をやると、何の運命か、一目惚れをしたあの湘北の女子学生と目が合ってしまったものだから、思わず動きを止めてしまう。
そして、手を上げて、視線に気付いていると言わんばかりにサインを送った。
しかし、
夢子は、一体どんな反応をすればいいのか困ってしまい、ただ仙道を見つめることしかできなかった。
「どうした、仙道」
観客席をみて微笑んでいる仙道を見て不思議に思った越野が声を掛ける。振り向いた仙道は、「何も」とだけ返すと越野の横をすり抜け、そのままレイアップシュートを決めた。
――“彼女”が見てくれている
そんな単純な事実が仙道の調子を良くさせてしまったこと。
これがどれほど湘北を苦しめたことか……全く知らない
夢子は、湘北の勝利を願いながらも、仙道のプレーに釘付けになってしまうのだった。
END