※性的表現



 日差しの照りつけるアスファルトの上を、ふたり並んで歩く。
 冷房の効きすぎたスーパーで冷え切ったはずの体はすぐに暑さで中和されて、じんわりと汗をかき始めている。時折横を通っていく車が過ぎ去った後、時間差でぬるい風が肌を撫でていった。
「荷物、持つぜ」
 幽助と私でひとつずつ持っていたビニール袋。幽助が重い方を持ってくれていたけれど、私にもう片方の手を差し出している。
「重い方持ってくれてるのに。いいの?」
「いーってことよ、おら」
 少し強引に私から袋を奪う時、幽助の手が触れる。冷たくも熱くもなくて、あまり他人の手という感じがしなかった。
 食料の詰まった袋は意外と重く、持ってもらった途端に体が軽くなった。それだけで暑さまで軽減されたようだった。持ち手にかかっていた重みが、手の指全てをじんじんとさせる。暑いからか、重かったからか、どちらの理由から赤くなったのか分からない指先。手持無沙汰になったので、なんとなくその指をさすっていた。
 「手料理を食べたい」という幽助の突然の提案から、今、ふたりで買い出しに来ていた。自分だってラーメン屋台してるじゃない、と思ったけれど、食べたいと言われれば素直に嬉しい。言われてみれば、幽助のラーメン=手料理を食べたことはあったけれど、確かに私の手料理を食べてもらったことはなかった。
 ついでに「俺の家に来るか?」と付け加えてくれていたので、私は今日という日を密かに楽しみにしていた。
「幽助の家に行くの、楽しみにしてたのよ」
「そんな楽しいもんはねぇけどな」
「楽しい、とかじゃなくて。付き合ってる人の家は気になるものでしょ?」
「そう言うもんかねぇ」
 買い物袋を持って隣を歩く姿は新鮮。なんだか夫婦みたいだな、と思いながら歩く。今日だけじゃなくて、また今度も、これからも、そしてずっと……こういった日常の場面を何度も繰り返すことを想像して、ひとり先走ってしまう。突然口をつぐんだ私をちらりと見た幽助は、おちゃらけた笑顔を見せた。
「なんだぁ~? 羨ましいか、この筋肉が」
 なんて言いながら、あいた腕で力こぶをつくって見せる。白くさっぱりとしたTシャツから覗く、緩やかな曲線。その肌は、柔らかく光をはじいた。太陽にも負けないぐらい眩しい笑顔、なんて使いまわしの表現しか出てこないけれど、本当にその通りなんだから仕方ない。
「はいはい、わかったから。幽助かっこいー」
 適当に誤魔化しながらも、そんな幽助にどうにも魅力的なものを感じてしまっていた。鼓動がどっと早くなって、この暑さの中目眩がしそうだ。「可愛げねぇな」なんてわざとらしく渋い顔をする彼を見て、それでも頭の中は別のことを考えている。幽助に悟られてはダメだ、と思って、もう一度自分の気持ちを誤魔化すように言葉を返した。
「何、もうこのまま帰るよ?」
 夫婦みたいだと思った自分が馬鹿らしいと思ってしまう。けれど、こういうやりとりが楽しかったりする。

 幽助の家に着いた。鍵を差し込み、扉を開けて、私に先に入るように促す。「レディーファースト」なんて言いながら。
「あれ、全然汚くないじゃん」
 散々、「男の家が綺麗ってのはあり得ねーんだよ」なんて忠告のように言っていたくせに、玄関から覗く居間は小綺麗にしてあった。というか、そもそも、汚い、汚くない以前に、部屋においてある物が少ない。
 背後の幽助から早く家に上がるように促されるので、部屋をじっくり見るのは後回しにする。幽助が持ってくれていたビニール袋を受け取って、先に廊下に置く。それから、少ししゃがんでサンダルを脱ぐ。汗でべたつくからか、それとも幽助の圧があるからか、紐がやけに絡んで取れにくい。
「ちょっとまってね……って、何してるの」
 狭い玄関で立たせっぱなしの幽助の方をちらりと見てみれば、自分の家だというのに居心地の悪そうに立っている。表情が硬くなっているのに異変を感じ取った私は、一体どうしてしまったのかと不安に思った。
 それなのに、幽助は小さく言葉を吐き捨てるだけ。
「……わりぃ」
「悪いって何が――」
 幽助の体が近づく。熱気のこもっているはずの玄関の暑さが、今だけは気にならなかった。
 脱ぎかけのサンダルが足元に絡まって、思うように身動きが取れない。彼の予想外の動きに、時が止まった様な感覚に陥る。二の腕辺りを掴まれたかと思うと、やけに真剣な彼の顔が近づいて、逃げるようにすれば自然と廊下に倒れたような体勢になる。行き場を失った腕がビニール袋に当たり、カサリと音を立てる。そのまま顔が近づき、吐息が首元にかかる。冷房のついていない部屋で、布越しに触れ合った体の熱さが嫌でも想像できた。
「待って、廊下はいや。誰か来たらどうするの」
「鍵は閉めた」
 我慢できないようにそう言い捨てた幽助の唇が、べたつく肌に触れてしまう。
「卵も牛乳も、冷蔵庫に入れないと」
「それぐらい、また買い直せばいいだろ」
 絶対になだれ込みたいのか、幽助はてこでも動かない。何を言ったって、無駄なのかもしれない。フローリングの硬さを背中で感じながら、汗の不快感が胸の中で広がっていく。
「……ちがう、ちがう、もう!」
 重くのしかかる体を勢いよく押す。ドン、 という音がする。やっと体を起こすことができれば、幽助は頭を押さえながら「いてぇ……」と呟いた。
「玄関でがっつくなんてバカじゃないの」
 サンダルを脱ぎ捨てると、幽助を軽く睨む。
「……じゃあ、玄関じゃねぇならいいのかよ」
 ムードも何もない提案に呆れた私は、ビニール袋を手にして「冷蔵庫に勝手に入れるからね」と返す。「なぁ、いいのか」と、融通の利かない幽助は、話題を反らさないつもりだ。そうして、無理矢理にでもそんな流れに持ち込むつもりだ。
 何でスイッチが入ったのか知らないけど、手を引こうとしない。確かに会うのは久しぶりだけれども、こんなに我慢ができない人間だとは思っていなかった。洗面所はどこかと訊いて、そこで手を洗って、冷蔵庫はどこかと訊いて、扉を開いて……冷蔵庫の冷気が、冷えている思考をさらに冷ましていく。ガランとした冷蔵庫の中には、今日買ってきた大量の食材も入りきってしまいそうだ。
 少し無理して詰め込もうとしていると、幽助がやってくる。背後に気配を感じて、距離を取ろうと立ち上がれば、その手を取られる。
「まさか、したいがために呼んだわけ?」
 私がこう訊くのももっともだと思う。別に、幽助にそういった感情を持たれることは不快ではない。だけれども、手料理を振る舞って、穏やかな休日を過ごすことを想像していた女心からすれば、突然すぎるし、むき出し過ぎるしで気分が乗らない。いくら分かっている事実だとしても、結局はそうなるとしても、もう少し、ロマンティックな演出を望んでしまう。
 対して、私の背中を抱くようにして首元に顔をうずめる幽助。本当、懲りないやつ……。
「何か当たってるんだけど」
「仕方ねぇだろ」
 開き直った幽助は首筋に吸い付き、こそばゆい。皮膚の薄い部分から感じ取れる感触は大きなもので、彼が舌を使いだしたのまで分かった。
「ちょっと、汚いからやめなよ。汗とか日焼け止めと、か、あ……」
 いつの間にか下がっていた手が腰をなでると、思わず声が出る。思っていたよりもそういった・・・・・感じの声で、今からじゃ意味がないのに、慌てて自分の口を自分の手で覆った。
 気付かれたかどうかを確かめようと頭だけを動かして幽助の顔を見ようとすれば、そこには満足げに妖しい笑みを浮かべる彼の顔が。
 これはもう、促してしまったも同然。しまった、と思いながらも身動きが取れない。幽助は私の体を自分の腕で閉じ込めたまま、ゆっくりと居間へと移動する。その間、私はわずかながらも、「そんな気はない」と彼の腕を外そうとした。
 ついにベッドまで辿り着いてしまえば、私の体裁だけを取り繕った演技も意味をなさなくなる。
夢子、怒ってんのか」
 腕の中に抱き、機嫌をうかがうようにして頬に口づける。強引な所があるかと思えば、こうやって優しく扱うところもあって憎めない。
「もうちょっと雰囲気を大切にしてよ」
「ん、」
 家についてからここまで流されるままで、とても手料理を作るどころじゃない。求められて嫌な訳じゃないけれど、好き勝手にされてもつまらない。……そのはずなのに。
「ねえ、幽助」
 ……自分から口づけてしまうのは、どうしてだろう?



「あつい……」
 汗がまとわりついて、体がだるい。窓も開いていない部屋には、ぬるくてこもった空気がただよっている。幽助がやっと窓を開けると、室内よりも新鮮でわずかに涼しい風が入ってきた。
 結局、冷房をつけるのさえ我慢できずになだれこんでしまった。こんな暑さの中で、暑いことも忘れてそれ・・に没頭してしまった。
「水、飲むか」
「うん」
 冷蔵庫へ水を取りに立ち上がった幽助は、何も身にまとっていない。幼さを見せる下ろした前髪とは対照的に、鍛え上げられた体。美しく影を作る筋肉の谷間には汗が留まり、彼の動きに合わせて時折きらめいた。
 その様をぼんやりと眺めていると、幽助と目が合ってしまう。彼の体に見とれていたことを誤魔化すように「ちょっと、パンツぐらいはきなさいよ」と言えば、幽助は「いまさら何だよ」と面倒くさそうな顔をしてからグラスに口づけた。
 冷たいのだろう水が、ゴクゴクと音を立てて彼の体内に落ちて行く――改めて見てみると整った顔立ちに、僅かな笑みがこぼれる。その体がもたらしてくる感覚を思い出して、なんだかとても嬉しくなった。
 ベッドから立ち上がると、脱いだ服を持って何となく体を隠す。幽助のところまで行ってグラスの水を飲めば、私の体内にも冷たい水が染みわたる。
「……ねぇ、シャワー浴びたいんだけど」
「そこの扉」
 白い扉を指で指し示し、もう一度グラスに口づける。私は、グラスの結露で濡れた指で幽助の背中を、傷のあとにそってなぞった。
「一緒に入らなくていいの?」
 突然の感覚に驚いて私の顔を見た幽助。彼を挑発するように笑って、それから口を頬によせる。
「……は、誘ってんのかよ」
 全ては、罪深き若さのせいだ。


2025/2/22