「金田くん!」
「おっ、
夢子!」
デートの待ち合わせには遅すぎる時間ともなれば、ネオンが街を飾りきっている。看板を照らすライトの中、黒いシルエットが振り返った。
夜でも勢いのよい噴水の前へと駆け寄ると、見慣れた顔の細部が逆光の中でくっきりとしていく。待ち望んでいた彼の全貌が徐々に明かされるというのも、なかなか粋な演出かれもしれない。
「よかった……また指導で捕まってるんじゃないかと思った」
「そんなヘマはしねェよ」
「あ、問題は起こしたんだ」
「そんな話はもうやめだ、やめ」
暗く嫌な話題から逃げるようにして、明かりが照らす位置へと移動する。相変わらずの金田くんの姿に安心してしまうのは、仕方がないことだと思う。
ここまで人混みを歩いてきたけれど、仕事に疲れた人か暴走族の両極端な人しかいなかった。目の前の彼も端っこに位置する部類ではあると思う。
それでも何か違う、彼だけの雰囲気、仕草、姿……すべてが合わさって出来上がった金田くんが、特別恋しくなった。緊張したことがなさそうに緩み切ったその顔も、街とともにライトアップされれば、それなりに見える……というのは、本人には言わないでおこう。
「久しぶりなワケだろォ? こうやって会えンの」
「まあね、お互いの都合がなかなか合わなかったし」
夜はこれからだと言わんばかりの街には、クラクションやバイクのエンジン音が響いている。歩いて横断してきた大通りも、高台から見れば中通りぐらいにはなっている。人はエノキぐらいで、車はラジコンカー。ミニチュアまではいかない、現実に囚われ過ぎた街も、上から眺めるならば愛嬌があっていい。
右を向けば金田くんは手すりに肘をかけ、気だるそうに騒がしい街を見下ろしていた。じっと止まっているというのは、鉄砲玉みたいな彼にとって拷問にも等しいのかもしれない。その苦しみを見せつけるようにとがらせた唇が何だかかわいい。
黒髪にポロシャツなんて、どこにでもいそう。自分のしたいことをしたいだけする人だって、どこにでもいる。
けれど、金田くんじゃないとダメな理由が彼のなかに詰まっている。
いつもならバイクを乗り回してこの街で好き勝手しているはずの彼が、首輪を着けられたみたいにおとなしく隣にいること。その首輪が何からできているのかを考えれば、体中をくすぐられているような気分になる。
「なァに、もォ、
夢子ちゃんったら俺を見つめてェ。欲求不満?」
少しバカにするような、挑発するようなこの顔を見るとホッとする。自分を茶化されることに安心するなんて変だけれど、こんなやりとりこそが彼との会話であることを実感させてくれるからだ。
目の前にいるのは、金田くん。あの、金田くん。ヘラヘラしてて、不真面目で、スケベで、不潔で、バイクで深夜徘徊していて……欠点を上げろと言われなくても、彼の特徴を伝えようとすれば自然とこうなってしまう。
けれど、そんないくつも並べた難点も、当の本人を目の前にしてしまえば眩しい光で直視できなくなる。サングラスなんかかける暇もないほどすぐに、彼は己の輝きを人々の目に焼き付けてしまう。……もともとサングラスをかけていたら、あまり見えないけれども。
「欲求不満じゃないし」
「ほんとにィ? 物欲しそうな目で見てたじゃん」
そう言う金田くんの方が、よっぽど物欲しそうな顔をしている。“何が”とは言わないけれど、顔に自然と出てしまった欲はもう少しおとなしく楽しみたかった私を通せんぼする。
どのみちこんな話題になるとは思いつつも、まさかこんなにすぐだとは思わなかった。金田くんが相変わらずでいてくれたことは嬉しいけれど、こういうところも相変わらずなわけで、妙に感心してしまう。
「よく言うよ。金田くんの方こそ我慢できなくて、女の子に手、出したんじゃないの?」
「どうかなァ」
「へぇ、否定しないんだ……本当、治らないんだから」
今までみたいに、口を酸っぱくして注意しようかと思った。けれど、今日はどうも反撃をするような気にはなれなかった。
のらりくらりとした彼に愛想がつきたという訳でも、身体目当ての彼に腹を立てたという訳でもない。ただなんとなく、そんな気分じゃなかった。そろそろ、毎度毎度文句を言うような関係は終わりにしたかったのかもしれない。
金田くんはそんな私の異変に気付くと、機嫌を伺うように顔を覗き込んできた。
「怒ンないの」
「愛想がつきちゃった……とか?」
いじわるを言ったかもしれない。
本当は愛想なんか尽きてないし、女の子と遊んだなんて気にくわない。嫉妬心を膨らませて、今すぐ駄々をこねて帰ったっていい。それなのに、余裕なんてないくせに、余裕ぶった言葉が口から出てきてしまった。
これからどうなるか、なんて思いながら街を見下ろしていると、手すりを握った自分の手に何かが触れる。下を見れば、重ねられた手。顔を上げて右を見れば、金田くんはわざとらしく遠くを見ていた。彼の親指が、手の甲を撫でる。
「なに、急に」
久しぶりに彼に触れられたことに、照れと緊張が顔を出す。自然と湧き上がる嬉しさから口元が緩む。彼の中にも、まだ初々しい気持ちがあったのかと陶酔しながら、平然を演じてみせた。もっと、焦る金田くんが見たいと思ったから。
「飽きた?」
「何によ」
「俺」
そう言って私を横目でちらりと見ると、不機嫌そうに唇をとがらせた。
何てことを言うの、という意外性からの驚きが、笑いに変わる。あの金田くんがちょっと困った顔をしているように見えるのは、期待してもいいのだろうか。
「あはは! 変なの。不安になった?」
吹き出した私にびっくりしたのか、わずかに口を開けたまぬけ顔で私をみる金田くん。「いやァ、それはまァ……」なんて言いながら、気恥ずかしそうに頭を掻いた。
自分のほんの気まぐれからとった態度は、彼の様子に変化を与えてしまったらしい。それも、どちらかというと良い方に。
「他に遊んでくれる女の子がいるんじゃないの?」
「いないとは言えないけどさァ……」
「言えないけど?」
ここまで来たからには、さすがにあの2文字を引き出さないと気が済まない。言うか言うまいか、きっと彼の心は葛藤しているんだろう。虚空に目をやり、黒目が忙しく左右する。
ついに言うことに決めたのか、金田くんはびしっと視点を私に定めると――
「
夢子ちゃんとは特別相性が良いみたい、なーんて。エヘヘ」
と、まあ、本音を伝えてはくれなかった。私のことを大切に思っているという旨の言葉を誘導していたはずが、目の前ではぐらかされてしまう。すぐおふざけに持っていくのは、彼の照れ隠しと受け取っておくことにする。
けれど、やはり、思っている本当のことを言ってほしかった気持ちがある。金田くんはこれから私に迫られることを恐れたのか、他人のようなふりをして再び街を眺め出した。
本当、そういうところはちゃっかりしてるよ……と思いながら、金田くんの横顔を見る。私から言わないといけないのはちょっとくやしいけれど、自覚してもらうには先手を打たなければならない。
「金田くんはどう思ってるのか知らないけど、私は金田くんのこと大切に思ってるんだから」
重ねられていた金田くんの手に、もう片方の手を重ねた。彼はピクリとしたけれど、動きはしない。
「もう少し、私のことだけを見てくれてもいいんじゃない?」
心を打たれでもしたかのように少し目を開くと、金田くんはやっと私の方を向いた。
「
夢子……」
瞳の中にネオンが映り、星が瞬いている。
自分の願望をありのまま口にしてしまったけれど、彼のこんな顔を見ることができたのはラッキー。ひどいやつ、なんてレッテルを貼られてはいるけれど、こういう顔ができることをみんなは知らない。そもそも、こんな表情を引き出せるのは私だけで、私は彼にとって特別な存在だということを彼自身が証明してくれた。
そんな光景にあまりにも気を良くして自然と口角が上がると、照れ隠しに「なんてね」と付け加えた。
金田くんは心のままに肩を抱き寄せると、頬に口づけてきた。こういう純粋なことを時々するものだから、多目に見てしまうのかもしれない。そしてこの愛を求めて、荒れた彼の心を彷徨ってしまうのかもしれない。
「これからどうする」
腰へと下りていきそうな手に、彼の欲が感じられる。粗雑ではあるけれど、自分が求められていることが目に見えて分かるものではある。出来立ての熱い思いをぶつけられて、爛れてしまうのも仕方ないと思える。
けれど、他の女の子と遊んだという事実は消せないわけで、そのことに対する仕返しという、ほんの少しのいじわる心が顔を出す。すぐに許可を出せば特別感は消え去り、他の子と同じみたいで嫌だと感じたのもある。
「あのさ、ここから出てみたいんだけど」
自分はそこらの女の子とは違うぞ、と言わんばかりに、真面目な顔をして向き合った。
「……ここからァ? ここってどこなワケ」
このままいけそうな雰囲気が、あらぬ方向へと向かってしまった。金田くんはその驚きを通り越して、呆れたように口を開いた。
ムードをぶち壊してやって来た提案は、一応周りに人目があることを思い出させる。今まで気にせず触れ合っていたけれども、あまりの空気の変わりようにそんな気分ではなくなってしまった。
しょうがない、と金田くんは再び手すりに肘を掛けた。
「この街っていうか、今の暮らしというか……」
「そりゃまた、何で」
彼の物言いは、全くその通りだった。久しぶりに恋人と会っているというのに、突然人生について語りだそうとする彼女なんて、正直言って厄介でしかないだろう。ただ金田くんを困らせているだけだ。
けれど、彼の困惑をよそに、私は考え事をしたい気分になっていた。
本当ならば、今頃、金田くんと笑い合って楽しくはっちゃけているつもりだった。しかし、彼の予想外な感情の機微に触れたことで、とても繊細な気持ちが芽生えてしまった。このまま、不安定な将来について夜通し語り合いたいような。
「だって、毎日おんなじだし、騒がしいだけだもん」
「スリルがあるじゃン」
「……それは金田くんだけ。バイク乗ってればそりゃ危険だろうけど」
まだまだ華やかな街は、人々の人生を複雑に交差させている。朝から晩まで明るくて、忙しくて、うるさくて……悲しみに浸っている暇はないかもしれない。
落ち込んだ分だけ、次には楽しいことが待っている。いいこと尽くめで余裕ぶっていると、必ずどこかでつまずく。上がったり下がったりを繰り返す生活は、予想のつかない変化があって飽きることはない。
しかし、その変化が車輪のようにぐるぐると回って訪れているとしたら。
円の中で一喜一憂したって何も始まらない。その輪の中から抜け出さなければ本当の自由はないような、そんな気がしているのも確かだった。
「遠回しにさァ……デートがつまらないって言ってる?」
「違う、そうじゃないの。今だって楽しいよ、楽しいけど……」
金田くんとどこに行こうと楽しい気持ちになれるのは間違いない。それでも、その楽しさを感じている以外の、もっと根本的な“何か”が充実していないと感じる。“何か”を上手く表現できない時点で、自分の世界がどれほど狭く、窮屈なのかと思ってしまうのだ。
そんな中で、“金田くんならばどうにかしてくれる”という希望を持っていた。バイクで街を走り回り、世間の道徳から外れることを気にも留めない彼の生き方に、どこか憧れがあるからだ。口では非難しながらも、心は彼に頼り切ろうとしていた。
「一生ここにいて、ちょっと荒れた暮らしして、っていうのがさ。もっと世界を見てみたいの」
そう言って、すがるような思いで見つめた。現実からの逃避行を確実に、安全に実行してくれる彼を信じて。
「……ふーん。じゃ、行こうか」
金田くんの返事は、自分が彼にかけた思いよりいくらか軽かった。けれど、その楽観的に見える姿勢こそが私の心を膨らませる。空気がよく入った心は高く跳ねて、現実逃避の準備をしている。
待ちきれずに、「どこに?」と訊いた。
「
夢子の行きたいところ。ほらバイク取りに行くぞ」
身軽になった私の手を取って、ふたり、階段を駆け下りてゆく。
「ちょっと! 速い!」
少し着飾った服は走るのに適していない。布がめくれるような風が髪を乱して、夜も遅いのに爽快な気分にさせる。ぐっと引かれた手は自分の運命を握っているようで、彼の確かな足取りが心強く感じられた。
こんな街の中でも異質な赤いバイクが目につけば、胸が高鳴る。濃紺のアスファルトに、赤黒いシルエットが獲物を狙うようにじっとたたずむ。わずかに上がった息を整えながら歩いて近づくと、緩やかな曲線をもつボディが月の光を俗に跳ね返した。
やさしく跨がると、金田くんに掴まる。体だけでなく命までも預けるような、そんな感覚に陥る。
「どこか分からないけど、安全運転でね」
「……ああ」
***
「うわ、暗い! ここ、来たことあるの?」
「初めて」
コンクリートの防波堤も海も黒く染まって、街のはずれでは明かりも届かない。どうやら目の前には海が広がっているようなのだけれど、目にはただの暗闇として映った。金田くんも、きっと同じことを思っているだろう。
視覚が意味を果たさない分、つないだ手の感覚が鮮明になる。闇に放たれたふたりが手を離してしまえば、きっとすぐ迷子になってしまう。
行き場を失った私の手を取ると、金田くんはそっと握ってくれた。そして、強く握り返す。
日頃感じることのない強い風は、耳元で大きな音を立てる。ふたりきりだというのに、まるで、あの眠らない街の中心に寝そべっているような気分だった。
「――まさか、今から泳いで行こうとか言わないよね」
「あ、面白いンじゃない、それ」
「面白いって……じゃあ、どうしてここを選んだの?」
「だってェ、海じゃン」
「そうだけど」
「海の向こうは、別の何かがあるンだろ? だったら何か見えるはずだぜ」
いいことを言った、と自信ありげに語尾を強めた。希望を持たせるような言い方をするものだから、私は言われたように素直に何かを見出そうとした。けれど、暗すぎてとても遠くを見れたものじゃない。小さな光が浮かんでいるような……あれは船か。
蛍のようにわずかな明かり。それもひとつだけなんて、今の自分に与えられた希望の光を忠実に再現しているよう。そして、それは俺のことだ、と金田くんに自慢されているみたいだった。
腕を組んで体を寄せる。夜の海風は、やはり冷たい。
「もしさ、ヨットとか持ってたら海に出る? やっぱりバイク?」
「バイクかなァ……ヨットの操縦なんてェ、俺、知らないし」
「えー、ロマンがないなあ。ふたりで旅に出ようよ。波に揺られながらとか絶対楽しいよ」
「酔うンじゃないの」
「大丈夫だって。そんな現実は考えちゃダメ」
金田くんは、いつもはふざけるくせに、妙に現実的な考えをすることが時々ある。日頃へらへらしているせいか、物事をちゃんと考えている様を見るのが好きだったりする。どんな些細なことでも金田くんなりに考えていることがあるというのが、彼の魅力を証拠づけているように感じられるからかもしれない。
「……ま、でも、金田くんがちゃんと私の願いを叶えようとしてくれたこと、うれしいよ」
「だろ」
「ありがとう」
「……まあな」
少し間が空いてからの返事。組んでいる腕がややこわばったような気がした。
今すぐに灯台の明かりが金田くんの顔に当たらないか、とふざけたことを考えたけれど、やっぱりやめておこう。照れている顔は、もっと素敵な瞬間にとっておくことにする。
「そろそろ、帰ろォか」
「そうだね」
バイクを停めた場所まで歩いて向かう。すると、金田くんは「帰ったらもうひと頑張りしよォかなァ」と、伸びをしながらチラチラと見てきた。
「なーんかやらしいんだけど?」
「気のせいじゃァ?」
気付いてほしいのか、気付いてほしくないのか。あやふやな態度を取る金田くんを見ていると、内容は抜きにして、微笑ましい気持ちになってくる。さんざん振り回しておいてお預けというのもあれなので、「……ま、久しぶりだしね」とつぶやいた。金田くんは、そんな小声も逃さずに、「エッ、何か言ったァ !? 」と、すり寄る。面白いほどの変わりようで、吹き出してしまいそうになる。
「なーんにも」
「
夢子ちゃーん、ね、もォ1回」
「もう、早くバイク乗ろうよ」
周りをちょろつく犬みたいで、本当にしょうもない。あやすようなやり取りが楽しくて、焦らすように答えるのがくせになる。これだから、離したくない。
バイクにまたがり、少し頼りない背中につかまる。闇を裂いて進むのは怖いけれど、金田くんがいるならばどれほど頼もしいだろう。
金田くんのバイクはどこまででも連れていってくれる、そんな気がした。
***
「あ! 危ない!」
「ダイジョーブだって。俺を誰だと思ってンの」
「いくら夜遅いからって、信号ぐらい守ってよ !! 」
「あいにく、“待て”ができない性分でね」
「そんなのどうでもいいから、前見て! 前!」
……危険は付きものだけどね。
END