新しい生活と素晴らしい未来を追い求めるため、人は時には大胆にも嘘を付き、何の成長もない怠惰な関係に終わりを告げなければならない――例え、それがどんなに長い時を過ごし、すっかり情を移した相手だとしても。
せっかくの休日、それも真っ昼間だというのに、私の恋人……と形容するには少々誠意が足りない金田正太郎氏(20)には、私をどこかへ連れ出す気配はどこにもない。デートといえば、いつも私がどこかへ行こうと提案する係で、それから金田くんが面倒臭そうにのそりと起き上がってしぶしぶバイクに乗せてくれるという、目的地に着くまでにとにかくテンションが下がってしまいそうなものばかりだった。
今日だって、そんなつまらない繰り返しの回数にプラス1しようかと思ったけれど、やめた。もう、私の気持ちがついていかないから。
「ねえ」
「ん?」
ほら、今だって私の方さえ向こうとしない。だらけた背中を私に向けて、つまらないバラエティ番組を目で追いかけている。時々聞こえてくる笑い声は、この関係に先に飽きてしまった私を“耐え症の無いヤツ”と嘲笑っているように聞こえる。……重症だ。
やっぱり、私はこんな毎日を繰り返していたくない。何度も何度も頭の中で練習した言葉を思い浮かべると、覚悟を決めて、それでも自然な感じで口にする。
「できたかも」
「……できたってェ、何が」
「子どもよ、子ども。あ・か・ちゃ・ん」
「……」
「…………」
「ええっ!」
数秒の間の後、金田くんは勢いよく振り向いて、笑ってしまいそうなほど口をあんぐりと開けていた。もちろん、赤ちゃんができたなんて真っ赤な嘘。だけれども、これが私の切り札でもあった。
どうして、私が突然金田くんにもっともらしく嘘をついているのかというと、友人ら(金田くん被害者の会も兼ねている、残念ながら)の話が理由だった――彼女らによると、“子どもができた”という奇妙な
合言葉を金田くんに言えば、別れることが可能らしい。おまけに、「産みたい」と言うと、「他に誰か男がいるんじゃねーだろォな」と責任逃れをするらしい。自分はゴムをつけてしているのだからそんなわけはないと、ガバガバの知識で応戦してくるらしいのだから呆れる。
面倒なことは好まず、できてしまったらしれっとトンズラしてしまうという、全女性の敵のような何ともいけ好かない男である。そんな男にまんまと引っ掛かって確約のない関係を持ってしまった私も確かにバカだし、呆れる権利も無いけれど、いざという時にはちゃんと自分の意志で物事を決められる決断力までは捨てたつもりはない。
その話を聞いた時はさすがに「自分の身体ぐらいは自分で守りなよ」と半ば軽蔑の目で見ていたところはあったけれど、実際にこの話が役に立つ時がくるとは。友人らの下世話な話をありがたく受け取るというのもどうかとは思うけれど、今の私にはこの方法しかない。
「私、おろすつもりはないから」
こうまで言ってしまえば、今度は金田くんがどんな言葉を返してくるのかもはや楽しみでもある。私の冷静な態度の演技があまりにも上手すぎたのか、金田くんもさすがに本当のことだと思ったらしい。いつもはやけに饒舌な彼も、今は衝撃から言葉に詰まっている。ビー玉みたいにまん丸な目は、まばたきをすることさえ忘れているようだった。
「……ほ、」
「ほ?」
「本当ォか !? 」
……ほうらね。まずは驚いたふりをして、それでも事実ではないはずだとやんわりと否定を匂わせている。もちろん、私だって頭の中で何十回とシミュレーションをしているので、金田くんがどんな言葉を返そうと私には大した問題じゃない。
それでは、別れるための手はずをどんどんと進めていこう。まずは、① 信憑性のある理由を提示する。
「本当だよ、ちゃんと検査キットで出たんだから」
「ど、どこにあるんだよそれ!」
気付けば、恐ろしいほどの勢いの金田くんに距離を詰められていた。がばっと肩を掴まれて揺さぶられるので、私は驚いてしまう。
「ちょ、ちょっと! そんなに揺らさないでよ!」
いつもはナマケモノみたいにしているくせに、こんな俊敏さをどこに隠していたんだか(……あ、でも、逃げ足だけは早いんだった)。
そもそも持ってもいない物は見せる術もないので、私は適当にもっともらしい理由をつけて誤魔化す。
「汚いからさすがに捨てたってば」
「そ、そっかァ……俺もついに父親かァ……」
感嘆のため息をついて、金田くんは寝転んでしまう。はいはい、きっとこのままふて寝して、忘れてしまうつもりなんでしょ。だけど……こっちだって、この関係の終わりを明確にしてもらわないと困る。
ということで、② “父親になる”ということを強調する。
「そう、父親。金田君が、この子の父親なんだからね」
先程食べたインスタントラーメンしか入っていないお腹の中を、意味有りげにさすって見せる。事実を丁寧に告げて、夢の世界へと旅立つ前に現実世界の問題にけりを付けてもらう作戦だ。
すると、金田くんは上体を起こして、胡坐をかいた姿勢のまま私を真っ直ぐ見つめた。
「頑張ろうな、
夢子」
「うん――」
あれ?
「ちょ、ちょっと待って。どうして認めてるの?」
「はあ? 認めるも何も、俺と
夢子の子どもなンだろ? それともおまえ、浮気したのかよ」
「浮気なんてするわけないでしょ! それより、そこは『俺の子どものはずは無いだろ』でしょ !? 」
「おいおい……どーしたんだよォ、
夢子」
あの金田くんに、一体全体どうしてしまったんだ、といった目で見られている。
そんなはずはない。いや、こんなはずでも無かったのにどうして? どうして、金田くんは「頑張ろう」なんて言うの !?
「体調でも悪りィんじゃないの。……あァ! やっぱり妊娠してるから――」
早とちりして妙に気遣ってくる金田くんが、私には妙にこそばゆくて変な感じがして、そして何だか申し訳なく思えてきて……私はかくかくしかじか、正直に話すことにした。
・
・
・
「――そういうわけで、とにかく、私は金田くんとの関係を終わりにしたいの」
「じゃァ、妊娠したってのは――」
「うん、嘘」
きっぱりと言いのける私に、何か未練があるらしい金田くんはボソリと呟く。
「……ゴムに穴、開けてたんだけどなァ」
「え……? 何それ、聞いてないんだけど」
「あっ、これはその……」
思わぬところから漏れたボロに焦る金田くんは、私の鋭い視線に怯えたようにしてみせた。けれど、それも束の間。すぐにお得意の開き直りを見せる。
「いいだろ、別に。今回だって妊娠してなかったんだしよォ」
「そういう問題じゃないでしょ !? 今回“は”してなかったとしても、このまま続けてたらどうなってたか……責任取れるの?」
“責任”という言葉がいかにも嫌いそうな彼のことだ、こんな風に詰められては返す言葉もないはず。
「ねえ、金田く――」
「取れる」
「え、とれ、え、と、取れる !? 」
「これでも
夢子のこと、真剣に考えてたンだけど」
……頭を掻きながら、照れたように言う? 普通。……ダメだ、完全にペースを崩された感じがする。
私だって、金田くんのことは好き。好きだけれど……いつまでも恋愛のおままごとの延長線上のようなことに興じているわけにはいかない。
周りの子は早い人ですでに子どもが歩き始めた、なんて人もいるっていうのに、私はいつまでもこの目の前のぐうたら男に振り回されているわけにはいかない。仕事のことだって考えれば、何だか子ども気分の金田くんのことをお世話しているわけにはいかない。
……もっとも、金田くんがこれからのことを真面目に考えていて、彼なりのビジョンがあってのことならば話は別だけれど。
「なァ、
夢子はどー考えてンだよ」
今、これからの人生についての決断を迫られている気がする。
確かに金田くんのことは色々と好きだし大切に思っているけれど、彼を取り巻く様々な噂話を踏まえれば、人生のパートナーとして捉えるのは難しいところがある。恋人にはいいとしても、夫にするには少し不安要素が大きいというか。
結婚には安泰を求める私からすれば、今が精一杯の冒険といったところ。そんな冒険相手である刺激いっぱいの金田くんをそのまま夫に昇格させるというのは、それなりに考える必要がある。
それに、金田くんの言葉を信頼しきってしまうことができないのも本音だ。今はこんな風に私に言ってくれはするけれど、12時間後には違う女の子にも似たようなことを言ってるんじゃないか、なんて考えてしまうのだからやるせない。
だけれど、今の私は――さっき金田くんに「真剣に考えている」と言われた私は――その言葉を疑いもせずに一瞬受け入れかけていた。それは、私が感情に舵を取られたせいなのか、それとも私の心は初めっから決まっていたからなのか、自分でもよく分かっていない。
それでも、自分の選択に後悔をしたくないから。
それでも仕方がないと諦めながら生きていくなんて、私は絶対に嫌だから。
だから……
「真面目に将来を考えてくれてるなら、しばらくはナシ!」
私は、大好きな金田くんと共に、同じことの繰り返しをそれなりに楽しみながら生きていくことに決めた。
「えェ~ッ、それはないでしょォ、それは」
「家にあるの、全部捨てておくから」
「それはさすがにもったいないってばァ」
残念そうな顔をしていた金田くんではあったけれど、しばらくすると「あ、もしかして!」と何か閃いたのか満面の笑みを見せる。
「もしかして、それって、ナ――」
「ち、ちがう! ほんと、馬っ鹿じゃないの !? 」
ほんと、呆れる。この能天気な具合に、一瞬自分の選択を後悔しかけてしまう。
「何でもいいから、まずは仕事を探してきてよ。それからじゃないとお話にならないから」
友人に呼ばれたからと日雇いの仕事をしたり、アルバイトを始めたかと思ったら一日でやめて帰ってきたり。何をしてもいまいち長続きしない金田くんが私の家にやって来るのは、何か食べ物をゆすりに来る時くらいだった。……って、本当に私はこんな男と一緒に人生を歩もうと思ってるの? ……ああ、だめだめ。また後悔しそうになってる。
「それは話が違うでしょォ? 確かに、俺は
夢子ちゃんとの子どもが欲しいけど、仕事はまた別ベクトルの話って言うかァ」
「ふうん、それって“ヒモ”になるつもりってこと?」
「やだなあ、そこまでは言ってないじゃん、そこまでは」
「顔が言ってるの」
「そんなに見つめないでよォ」
そうやって、気が抜けたように笑うその顔。こっちまで気が抜けてしまうようで嫌なのに、いつもいつのまにかつられて一緒に笑ってしまっていた。
なんだかんだ、この楽観的な態度に助けられたことが幾度もある。金田くんと一緒にいると、どんなに先が読めなくて嫌なことが待っている未来を想像しても、案外どうにかなってしまうと思えてしまうから。私は、気付かないうちに金田くんの虜になっていたのだ。
思えば、私は金田くんを試そうとしていたはずなのに、どうしてか結局はくっついてしまっている。別れる目的で『赤ちゃんができた』と言ったのに、金田くんが私に対して本気なのだということが分かっただけで、私はそれだけでほだされてしまった感じでもある。
後悔しかけていたことも忘れて、我慢ならなくなった私は「抱きしめてもいい」なんて柄にもないことを訊いて、金田くんの反応も気にせずに彼に抱きついた。
「ねえ、金田くん」
肩口に顎を乗せるようにして、私は呟く。
「金田くんは、だらしないし、無責任だけど――」
「泣いちゃうけど、さすがにさァ」
私の独白にすかさず言葉を挟む金田くんに、私は「まだ続きがあるの!」と小声で反論する。
「だけど……いざという時は決心がつくというか、勇気だとか覚悟だとか、そういうところは尊敬してる。それに……」
“見た目も結構好き”だってことを伝えようかと思ったけれど、やっぱり恥ずかしい。それに、こんなことを言ってからかわれたり調子に乗られたりしても困るし。
「それに、何?」
「何でもない」
「何でもないってことはねーだろォ」
私の体は金田くんに捕まえられて、そのまま互いの顔が見れるような体勢にされてしまう。少し恥ずかしくなって気まずくなった私は、目を反らした。
すっかり、形成逆転してしまった気がする。せめてもの反抗心を込めて、私は金田くんの顔を見る。
「なあ、
夢子」
ああ、変に覚悟が決まっている時の金田くんだ。こんな顔をされたら私は正直になるしかなくて、そして茶化されることは無いと知っているから、もっと色々なこともついでに教えてしまいそうになる。
そして、その瞳の効力がどれほど強いのかということも知っているので、私は素直に見つめ返すことができない。
「こっち向けよ」
「やだ」
「やだ、じゃない」
簡単に取られる腕の、その掴む力。強引なわけでも痛いわけでもないけれど、私の力では振りほどくことができないのだと自覚すれば、私はすぐに追い詰められる。
恐る恐る金田くんへと顔を向けて、ばちりと重なる視線。その瞳に吸い込まれるようにして、言葉も無くただ見つめ合う。そうして、そのままゆっくりとまぶたを下ろして、そっと顔が近づいて――これを受け入れてしまえばさっそく約束を破ってしまうことになりそうだけれど――私には、この軽いキスを断るという難題にさえ、到底立ち向かえそうもない。
END